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立山自然保護センターブログ

立山の地獄

昨晩、山形県沖を中心とした地震が発生し被害に遭われた方々には

心よりお見舞い申し上げます。

立山地区にも弥陀ヶ原火山が存在し、気象庁も5月から24時間体制

で監視体制を始めており、我々も地震による火山活動の変動などにも

注視しております。

室堂平で、火山活動が見られる地獄谷は昔から字のごとく「地獄」に

たとえられ、平安時代の仏教説話集「今昔物語集」では「日本国の人、

罪を造りて多く此の立山の地獄に堕つと伝へり」との文章が残って

います。

館内展示 大仙坊本A

立山曼荼羅でも、地獄が大きく描かれており立山地獄のイメージが

強かったのが伺えます。

人が死んだ後は、天国か地獄に行くと言う話がおおいのですが、仏教の

世界では死後に「六道輪廻」

天の世界

人間の世界

阿修羅の世界(天界との闘いで苦しむ)

餓鬼の世界(飢えに苦しむ)

畜生の世界(動物となって苦しむ)

地獄の世界

この6つの世界に生まれ変わるとされ、インドなどの曼荼羅図ではよく

描かれますが、立山曼荼羅でも描かれています。

立山の地獄、地獄谷

高台から見るだけでもゴー!という水蒸気の噴き出す音が聞こえて

きて、まさに地獄の風景に見えます。

地獄を見下ろす高台が「エンマ台」と呼ばれる場所になります。

立山曼荼羅でも、左上に死者を裁く姿が描かれています。※立山博物館25周年

立山×地獄展資料では、かつて地獄谷に閻魔堂があった可能性もあるが現在は

不明

 

昔話では、死後に閻魔大王に裁きを受ける話が出てきますが、実際は十人の

大王に裁かれ、閻魔大王は5番目の王となります。裁きを受ける日も決まって

いて、最初は死んだ日、初七日と続き四七日、一周忌、三周忌まで続きます

お気付きでしょうか?これは、生きている人が故人を供養する日と一緒です。

裁かれる内容も2回目以降は、故人をキチンと供養していると罪が軽くなって

いくそうです。

 

まだまだ、立山宗教や閻魔さまの話はあるのですが、また次回があればお話し

したいと思います。文書ばかりで長くなりすいません。

話の内容については、立山信仰の歴史 富山県立山センター監修

立山X地獄企画展解説 立山博物館 発行

立山曼荼羅企画展  立山博物館 発行

を参考にさせて頂きました。

 

 

 

真砂岳 大日如来像発見!!

今朝の富山市内はうっすら小⛄。風🍐。
1月16日の新聞報道
 「真砂岳で大日如来像発見
 立山信仰”聖地”裏つけ
 500年前以上制作」
 真砂岳山頂(2861m)のすぐ下の石積みの間で見つかったもの。
あるところにはあるもんだと感心します。
真砂岳は内蔵助カール(氷河)の上部にあたります。
撮影は20180716です。

真砂岳頂上付近からの剱岳方面。


奥大日岳方面。
相当の距離があり、像があるいてきたとは思えません。
「真砂如来様」のほうが、よいネーミングでは・・・・(^^♪

縦走路からの剱岳。迫力です。
ところで、雄山や剱岳の標高は、3,003mと2,999m。てっきり三角点標高
と思いこんでいました。国土地理院の地形図では、三角点から少し離れていました。地形や気象に熱心な方から指摘をいただいて、確認していませんでしたが、
確かにずれています。雄山は雄山神社峰本社神殿右端前にある黒御影石の高さらしいです。機会があれば確認したいです。
~~~山伏といっしょでまだまだ修行がたりません~~~”(-“”-)””(-“”-)”
byハイマツ仙人

立山をあおぐ特等席 

今朝の富山市内は☁。風⛄🍐。
1月の13日の記録からです。
朝は曇でしたが呉羽山公園展望台へ。
富山市の「立山をあおぐ特等席」の一つになっています。
改ざんでなく開山伝説の佐伯有頼像が有ます。
伝説の白鷹がなかなかよいです。
本物の「はくたか」はいませんでしたが、北陸新幹線のはくたかは健在です。
うっすらと剱岳方面が見えていました。
残念ながら特等席ではなく、普通席・・・自由席くらいでした。”(-“”-)”

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自由席では物足りないので近くの五百羅漢へ。

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立山信仰と五百羅漢がコラボしていればいいのですが、・・・・。
肩の襷が箱根駅伝の襷に見えます。
byハイマツ仙人

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立山信仰 美女杉&姥石&鏡石

今朝の室堂は☁。風🍐。予報は⛄。
立山信仰のテーマからです。
立山はいろいろなテーマパークですが、信仰については人気薄。
なかなか話題にできません。
忙中閑有でなく閑中忙有。このタイミングです。
立山杉・・・
「立山黒部の昔ばなし 企画・発行 立山黒部貫光(株)によれば
女人禁制の立山に若狭国の小浜の止宇呂(とうろ)という尼さんが
「なんとかして、立山に登ってみたい」といって2人の女の子を引きつれ、掟を破って山に入り、
男まさりの女の子のほうが、神罰にふれ、一本の杉になったのが美女杉。
美女平駅そばにあります。

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現在は女性歓迎ですから解説版は今風になっています。

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美女平から、なおも登っていくと、神罰がもう一人の女の子にもあたり、背の低い杉(カムロ杉)にさせられた。
それでもひるまず、国見山の下まできたときに、姥石に変えられてしまう。
気の強い止宇呂(とうろ)は石になる瞬間、手鏡だけでも頂上に・・と力を振り絞り、山頂めがけて投げつけたが
途中でおちて、鏡石になった。
 姥石です。残念ながら車窓からは見えません。
  ↓

鏡石は天狗平の下部でアルペンルートのバスの車窓から見られます。
手前の石仏は「立山道 石造物マップ 立山町教育委員会 編集発行」によれば
西国三十三番札所」の分霊像の29番。丹後国松尾寺
元の場所は鏡石の脇にあった。となっています。


鏡石までは、短い笹路となっています。

鏡石はタイミングを見て鏡に見えるときにパチリと
思っていたのですが・・・・?鏡には見えません。
そこでかってな想像です。
➀もともとはピカピカの鏡だったが今のようになった。
➁もともと鏡ではなかった。手水鉢の前に置く石の役割。
➂立山登拝のための要石から鏡石に転化。
➃石の凹んだ面に水をためて水鏡とした。
どれも、ぴったりきません。
「立山七不思議」として継続課題です。”(-“”-)”
byハイマツ仙人

20180110 立山信仰 布橋灌頂会 雅楽 

20180107の北日本新聞報道では、女性救済の立山信仰儀式
「布橋灌頂会」の雅楽は1886年に導入とありました。
福江北陸大学准教授が発表。
1866年の音楽施主帳の史料によるもの。
その史料によると、若い僧侶たちが、布橋灌頂会を盛り上げようと
雅楽の演奏を企画。講師を招いて稽古し1866年に披露。
楽器の購入費や指導料が思いのほか高くつき、芦峅峅寺で
肩代わりしてもらったとの記載。
持続可能な開催には昨年9月24日開催の収支が心配になるところ。😱😱😱
byハイマツ仙人